まんぼう日記

takataka's diary

ウェブ日記をつけるっちゅうのは一種の排泄行為っすね(ぢゃあ読んでる人はスカトロ趣味?)

(cf. 旧「まんぼう日記」を発掘 - まんぼう日記 )

 

ネットサイエンス・インタビュー・メールを読んでいたら、おまけのURL紹介に気になる記事が出てた。メモがわりにリンクしとこう。[視覚における「動き」と「位置」「形」の処理の間に関連性を発見]

 

↑を出してる森山さんの日記を読んで共感を覚えてしまった。 そうそう、ウェブ日記をつけるっちゅうのは一種の排泄行為っすね(ぢゃあ読んでる人はスカトロ趣味?)。 習慣になってくると、書かなすっきりせえへんもの。 ただし、人に見せない完全にプライベートな日記と違って、公開してる以上は一応読者がいることを想定してるので、排泄物を加工するプロセスが入ります(公衆トイレはきれいに使いましょう)。 したがって、その過程で自分の知識を整理して論理をチェックしたり、自分の感情を客観的に見つめてみたりすることができます。 これこそがウェブ日記の一番の効用やと思います。 たかたかがこんな駄文を公開しとるのも、そういう効果をねらっているというのがおおよその理由っすね。

 

ひとの日記をネタに話を続けてしまいます。 私見では、多くの脳研究者は「(形態的)個体差なんて関係ない」あるいは「個体差を検討できるレベルに達していないので、とりあえず目をつぶろう」と考えているように思われます。 昨日の話もそうやけど、fMRIとかPETとかMEGとか使うて非侵襲に脳機能を研究してる人たちは、得られたデータを「標準脳」にマッピングして議論するし。 電気生理とかで侵襲的に計測する場合も、電極なんかを刺す位置は、たしか標準的に定められたランドマークとなる場所を基準に相対位置で記述してたと思うし。 形態的個体差は単なるデータの変動であり、分布の平均をとって議論してかまわない、そうでもせんとややこしゅうてやっとれん、と考えられているんではないでしょうか。 だから、「個体差があるのに機能差がないのはどうして?」なんて疑問はわいてこーへんのやないかな。 ところで、形態的な個体差ってそんなに大きいんですか?